第108回『武蔵野に数寄の世界を求めて』
--このイベントは終了しました--
2015年12月05日(土)開催
今回は、東京の西部、戦前まで武蔵野の面影が濃かった、旧神代寺・調布の地を訪ねます。
先ず神代植物園・深大寺を散策し、深大寺蕎麦を堪能します。その後、戦前つつじヶ丘に建設された数寄屋を訪ね見学後、お茶を頂きながら地域文化財を後世に残す維持管理、有効活用等の方策を皆さんと一緒に考えてみたいと思っています。
武蔵の台地の立川段丘上にあって、多摩川や多摩川低地を見下ろすこの地は明治時代の終わり頃から別荘地として注目され、早稲田大学の総長・経済学者天野為之を始め軍人や華族、実業家等の別荘が建てられてきました。大正2年に京王電気軌道が笹塚・調布間に電車を開通し都心とも繋がり、また売電事業によりこの一帯は恩恵に被った。これを機に調布を「理想の郊外住宅地」として発展させようという動きが地元に起こり、武蔵野の風光明媚な環境に町が形成されてきました。
今回見学する数寄屋の施主佐橋関次郎は明治元年(1868)名古屋の熱田に生まれた。家は代々熱田の浜を守り、尾張徳川家のお台所番を勤め、維新後熱田の浜で魚類や海産物を手広く広げる大店の旦那としてお茶や料理、俳句等に長け(冠左)、当時の名古屋師団長梨元宮の誘いで台湾の総督府に出仕した。総督府では接待役として活躍し、多くの要人と交流を持った。還暦を迎え東京に戻り中野に居を構え、俳句や茶、陶芸等の趣味を楽しむ生活を過ごしていたが、周辺の都市化の煩わしさから逃れ、深大寺村金子に数寄の世界に没頭するために、自ら設計に加わり、材料も自ら集める等、広間、小間、台目の三つの茶室を持つ自分の思い通りの数寄屋を昭和十一年に完成させました。
佐橋邸 | 武蔵野の面影 |
後藤 元一
1943年東京都生まれ。九州・名古屋・札幌の学校で環境デザインを教えながら、全国各地の地域コミュニティづくりのお手伝い。最近は各地の地域デザイン活動の発掘を楽しむ。芸術工学会名誉会員・顧問。
詳しくは当会発行の地域美産研究会Newsをごらんください。