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第103回『横浜「田村明の仕事」を訪ねる』

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2014年12月20日(土)開催

横浜の戦後は長く米軍の接収下にあったので復興がなかなか進まなかった。しかも横浜の商業圏はかつて栄えた関内地区や伊勢佐木町、元町から横浜駅の西口へと移行しつつあった。1955(昭和30)年国体が三ツ沢競技場を中心に行われることになり、それまで砂利置場だった西口はその頃から相模鉄道と高島屋が中心となって賑いを見せるようになる。

関内地区や伊勢佐木町、元町など旧市街は西口に買い物客を奪われるのではないかと危機感を抱く。米軍の接収も少しずつ解除されてくる中、そうした横浜の地図が変わろうとする時期に革新の飛鳥田一雄市長が誕生する(1963年)。

全国的にも革新勢力が優勢を示していたこの頃、飛鳥田は6大事業を打ち立てて、横浜の大手術を行おうとした。しかしこのビッグ・プロジェクトを推進するためには市の既存の組織では立ち行かないことは明白であった。飛鳥田は市長のブレーンとして鳴海正泰と田村明を市役所に入ってもらった。都市づくりのハード面を受け持った田村明は1968年企画調整室の部長として入り、それまで「タテ割り縄ノレン行政」といわれた役所の体質を改めるべく「戦略的プロジェクト方式」を推進する。

 今回は6大事業の内「都心部強化事業」と名づける、関内地区及び周辺地区を中心に展開した田村明ら企画調整室が進めた「アーバンデザイン」の仕事を、現地に訪ねて検証してみようというものである。併せて横浜の古い街並みを眺めながら散策して、夕方は中華街で四川料理を食べ温まりましょう。

絵タイル くすの木広場

 

探訪予定コース(予定)
JR関内駅 → くすの木広場 → 大通公園 → 伊勢佐木町 → 吉田橋 → 馬車道 → 日本大通 → 開港資料館 → 象の鼻 → ペア広場 → 田村明が住んだ公団住宅 →中華街


藤嶋 俊會

昭和18年(1943)会津若松市生まれ。中央大学法学部卒、神奈川県庁勤務。神奈川県民ホール開館時より現代美術の展覧会企画従事。著書に「神奈川の野外彫刻」、「昭和の美術(彫刻編、共著)」ほか。元神奈川芸術文化財団ギャラリー課長、Public Art Forum地域美産研究・探訪会世話人。


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